備忘録:2020年1月4日

2020年になった。これまでで最も暗い正月だった。

死んでから葬儀までの4日間は抜け殻のようだった。幸か不幸か年明けから仕事が忙しかったので、その間だけは何も考えずにいられた。それ以外の時間も、思い返して泣くことも無く、ただぼんやりと暮らしていた。1月2日に少し文章を書いた。その時の感情を形に残しておきたいと思ってそうしたのだけど、悲しい記憶が一番に残るのが嫌で、綺麗なことしか書けなかった。実のところあの時には気持ちの整理など到底ついていなかった。

1月4日、実家に帰った。葬式のために帰るなんて気が重かった。心のどこかで、実は元気でいるんじゃないかと思っていた。空港から家まで、母と何を話したのか覚えていない。お互い感情の箍が外れないように、核心を避けた話ばかりをしていたような気がする。

家に着いて、入ってすぐのところにチャッピーがいた。保冷ケースに入って小さくなっていた。毛並みは記憶にあるままなのに、思いもよらない冷たさと軽さに驚いた。身体は固くこわばり、眼球は水膨れのようにぶよぶよとして、生命の温かみはまるで無かった。抱きしめたとき、本当に死んだんだな、という実感と、苦しくて辛かったろうなという思いと、生きていた頃の思い出とが一気に押し寄せてきて、途端に胸が熱くなって泣いてしまった。母も隣で泣いていた。

葬儀に向かう前に、彼の胸元の毛を少し切って貰った。残せるものはたくさん残したいと思ったが、向こうで不格好になるといけないから、と母に言われて少しに留めた。

15時頃から葬儀をした。外は寒く、雪深かったがそれで良かった。静かで綺麗な時期に逝けて良かった、と思った。

祭壇は1kgちょっとの子犬には不釣り合いなくらい大きなものだった。ペット用のお経がビデオで流れるのはなんだかばからしくて可笑しかった。虹の橋だかの詩の朗読もある、と言われたが余計な虚無感を味わいそうだったので流さなかった。生きてるチャッピーともっと一緒にいたかった。橋のふもとで待っているからなんだというんだ。

祭壇から火葬場へ運ばれる時が一番つらかった。鼓動も温かさも失われた、そのうえこの手触りも重さも永遠に失われるのかと思うとどうしても手が離せなかった。何度も身体を撫で、名前を呼んだ。永遠にそうしていたかった。しばらく経ったあと、今までありがとう、と呟いて、台に乗って運ばれる彼を見送った。

骨は小さく頼りなく見えたが、体格のわりによく残ったほうらしかった。ばらばらの骨になった彼を見て、なぜかつらい気持ちが和らいだような気がした。

そうして葬儀が終わった。ひとつの区切りがついたように感じた。

 

チャッピー。